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北風先生は九代 白井半七先生の最後のお弟子さんで、半七先生の作風を引継がれた、乾山風の雅やかな色絵作品と御自身で造られた穴窯における作品と両方の創作活動をされています。

今回は平成20年5月29日(木)・8月7日(木)にご訪問致しました。
住 所 〒673-1313
兵庫県加東市永福633-62
電 話 0795-47-0240
URL http://www.geocities.jp/ichizogama/index.html
最寄インターチェンジ

中国自動車道 ひょうご東条インター

兵庫県はゴルフ場が多く、北風先生の近くにも沢山のゴルフ場があります。


観光地

東条湖・清水東条湖兵庫県立自然公園

昭和26年、鴨川ダムによって出来た人造湖です。北播磨唯一の遊園地「東条湖おもちゃ王国」やオートキャンプ場があります。今年はかなり水位が下がっていました。

北風先生は昭和32年大阪府守口市生まれ、51歳です。

平成元年、西宮市の山手、金仙寺湖畔に最初の穴窯を築かれました。しかし、平成7年1月の大丸心斎橋店さんでの初個展を目前にして、阪神大震災で窯は倒壊し、作品は全滅しました。暫く作陶が出来ない時期もありましたが、努力の末、作陶を再開され、1年後、平成8年1月に大丸心斎橋店さんで初個展を開催され、多くのお客様にご来場、ご支援を戴き、大成功を収められました。今も、北風先生はあの時の茶道の先生方、お客様の暖かいご支援には感謝の気持ちで一杯で、一生忘れる事が出来ませんと仰っています。
平成9年、地震で崩壊した穴窯のレンガを用い、今の加東市永福に穴窯を再築され、移られました。

▲愛犬リキ丸(男・8歳・シーズ)君をこよなく愛される心優しき先生です。又、先生は穴窯、陶芸教室もご自身で建てられ、ダイビングが得意なアウトドア派の先生です。
 

 


●陶歴

昭和32年   大阪府守口市に生れる
昭和55年   大阪芸術大学工芸学科卒業
  九代 白井半七先生に師事
昭和60年   神戸市北区道場町に一三窯開窯
平成 元年   西宮市山口町金仙寺に一三窯移窯
平成 8年   大丸心斎橋店・初個展
平成 9年   福岡玉屋・個展
  加東市永福に一三窯移窯
平成11年   大丸心斎橋店・二度目の個展
  以後、各地の百貨店、専門店にて個展開催



北風先生の師匠 白井半七先生とは

今尚、お茶の先生方、数奇者の方々に絶大なる人気のある白井半七先生(白井家)の小歴をご紹介します。
●−江戸今戸焼−白井半七

江戸今戸焼(東京都台東区今戸)の陶工の一人でありました。今戸焼の創窯は不明であるが、瓦器から茶道具、日用雑器まで作られていました。今戸焼の歴史には、京都との交流があり、尾形乾山、永楽保全らの影響が見られ、その作風が取り入られています。
初代半七は貞享年間(1684〜1688)、土風炉や雲華焼の灰器や杓立などを製していました。二代半七は享保年間(1716〜36)、瓦器に釉薬を施した楽焼風の軟陶を焼成し、「楽今戸」として珍重されました。三代半七は伏見人形に似た人形を作り始めています。始められた時期が定かではないですが、都鳥の香合も有名です。
代々、「半七」を襲名し、四・五・六代は「芦斎」、七代は「楽半」と号し、その頃までは「隅田川半七」・「隅田川焼」とも称していました六代半七は明治初年頃、代を継ぎ、名工の名が高かった。七代半七(1857〜1933)の時、関東大震災(1923)があり、今戸焼の窯は崩壊しました。、表千家十一代碌々斎宗匠に引き立てられ、兵庫県伊丹市に移窯。
八代半七(1898〜1949)は昭和10年頃、初めて乾山写を手掛け、 茶碗・水指・香合など色絵の華やかな作品を中心とした茶陶を造り、織部写など種々の写し物も造るようになり、書画の技も巧みで、茶の湯にも造詣が深く、歴代中でも名工の誉れが高い。又、昭和14年、小林一三氏や小西氏(白雪酒造)らの勧めによって、宝塚市へ移窯。
九代半七(1928〜87)も書画の技に巧みな心豊かな趣味人で、京都芸術大学卒業後、八代と同様に乾山写を得意とし、その他にも、独自の作風の茶陶も製していましたが、昭和62年3月に亡くなっています。 亡くなられる前、昭和55年、三田市に移窯。八代・九代とも、「本吉兆」の先代、湯木貞一氏とは親交が深く、「本吉兆」の器も沢山造っていました。
▲五十路(いそじ)窯
平成19年、50歳の時に造られた、四番目の窯です。この窯にも一号基のレンガを一部使っておられます。
▲右手の建物が陶芸教室です。先生が大工さんと協力して、お二人で建てられました。
▲三号窯(平成11年2月完成)
先生お一人で造られた三つ目の窯です。震災で崩壊した一号基のレンガを使っておられます。基礎をしてから、一年程ねかし、創作活動をしながら、三ヶ月程で完成されたそうです。

 



●陶芸との出合い
中学一年生の夏、美術部顧問の中西先生の面白さに引かれ、野球部から美術部に移りました。ちょうどその時、学校に初めてガス窯が入り、美術部で陶芸が出来るようになりました。中西先生には、その後、大学進学の相談に乗って戴いたり、芸大入試の為のデッサンを教えて戴き、中西先生との出合いが陶芸へのきっかけでした。平面より立体が好きであったのと、土の柔らかさ、そして何より道具を使わず、自分の指の感覚で作品が出来る陶芸の魅力に中学3年間で虜になりました。今思えば、子供の泥んこ遊びの感覚だったのかなと思います。


●大阪芸術大学について
高校時代はクラブに入らず、守口市公民館の陶芸サークルへ週一回通っていました。大学進学は理科系の大学か、芸大かで悩んだ末、大阪芸術大学工芸学科へ進学し、1回生の時は、金工・陶芸両方を勉強し、2回生から陶芸を専攻しました。中学・高校時代の陶芸は壺・花器・器など伝統工芸しか知りませんでしたが、大学でオブジェなどの前衛の陶芸を知り、かなりカルチャーショックを受けました。しかし、昔から親しんできた信楽、伊賀などの土の優しさに引かれ、伝統工芸へ進みました。

●9代白井半七先生との出合い
大学4年間で陶芸を仕事にしようと決心しましたので、陶芸家の弟子入りを考えていました。4回生の時、大学へ半七先生からお話しがあり、応募しました。すでに工芸学科の先輩が弟子入りされており、工房の雰囲気もよく、違和感なく弟子入り出来ました。弟子入りするまでは、師匠の事はまったく知りませんでした。

●修業時代について
最初、工房は宝塚でしたが、すぐに三田に移りました。工房の近くのアパートに住み、週1日休ませてもらってました。芸大の先輩萩原さんとは、半年一緒に仕事をし、その後は一人で4年半務め、独立後も三田に住み、師匠がお亡くなりになるまで、2年間師匠の仕事のお手伝いをさせて頂きましたので、のべ7年間、勉強させて頂きました。師匠に弟子入りして、初めて茶陶を知り、乾山の作品の奥深さを知りました。師匠からは数より、1点、1点きっちりと作品を仕上げなさいと指導を受けました。厳しい時もありましたが、仕事の後、私自身のグループ展出品作品造りも認めてくださったり、伸び伸びと
仕事をさせて頂きました。

本吉兆さんの先代湯木貞一様から、器について、色々教えて頂いたんですね。

8代半七先生から湯木さんとは親交があり、度々師匠と一緒又は一人で、打ち合わせ、器の納品に行きました。その都度、湯木さんは実際に器にお料理を盛り、器の大きさ、見込みの広さなどをご指導下さいました。
又、本歌の乾山の器などを見せて戴き、本当に勉強になりました。湯木さんは本当に優しくご指導下さり、師匠を可愛がっておられました。

●半七先生との一番の思い出は何ですか。
師匠は運転が出来なかったので、私の運転で、御家元様、吉兆さん、道具屋さん、美術館など何時もお供してました。又、食事にもよく連れてって下さり、本当に可愛がって下さいました。それと、弟子時代最後の年に、東京の百貨店で師匠の個展があり、作品を車に積んで、準備に行った時、初めて、画廊に一堂に並ぶ師匠の作品を見、師匠の作品価格を知り、知名度を知り、師匠の偉大さ、大きさが分かりました。

●独立後について
師匠に7年間お世話になり、茶陶の入口に立させて頂きましたが、突然師匠が亡くなられ、茶陶への繋がりが無くなり、食器中心に活動していました。そんな中、平成4年頃、やまこうさんと出会い、茶陶の道に進むようになりました。そして師匠の偉大さ、作品の素晴らしさがより一層分かるようになりました。又、地震により中止になっていた大丸心斎橋店さんでの初個展を平成8年1月にさせて頂く事が出来ました。この時は沢山の皆様にご支援を戴きました。本当に有難う御座いました。あの初個展が私の茶陶としての原点だと思っています。

●作品について
乾山写しが中心で、色絵の作品は、電気窯で焼いており。3〜4回窯に入れます。色絵の土も、年々変化しています。花器や食器などは大半、穴窯で焼き、土は信楽の土を中心に色々な土をブレンドしています。今までは師匠の作品の写しが中心でしたが、いかに変化していくか、一三作品の色を模索しています。これからは色絵に限らず幅広く、もっと個性を出した作品を心がけていきたいと思います。

●穴窯について
2基の穴窯で年2〜3回焚いています。3日間焚き、4日間冷まします。薪は赤松の割り木です。穴窯造りは本や他の窯を参考にし、勉強してきました。基礎をしてから土を約1年間ねかします。そして、仕事の合い間に窯造りしますので、期間は約3ヶ月掛かります。

●趣味は
昔はダイビングでしたが、今は妻から、穴窯造りが趣味だと言われています。

●愛犬について
名前はリキ丸で8歳になります。 東条に来てから、初めて犬を飼いました。子供がいないので、何処へ行くのも一緒に連れて行き、甘やかしましたので、凄く暑がり、寒がりで、夏は仕事場の冷たい床がお気に入りで、離れません。

●最後に好きな言葉を教えてください。
「継続は力なり」です。地道にこつこつが一番だと思います。


▲鶴茶碗
北風先生の代表作です。
▲八橋茶碗

▲鶴手桶水指
真塗の長板の上に飾って戴きますと、とても綺麗です。


▲自然釉掛花入
穴窯作品です。赤貝の跡が綺麗に出ています。
▲灰釉冨士茶碗
穴窯作品です。白の化粧土で描かれた富士山がとても綺麗です。

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