●田原家
田原家は豊臣秀吉公の文禄・慶長の役に際して、日本に渡来した朝鮮李朝の陶工李勺光の高弟として共に広島から萩に移住し、松本の御用窯を始めた松本ノ介左衛門を始祖とし、三之瀬焼物所開窯者の一人赤川助左衛門を初代として、代々赤川助左衛門を称して藩の御用を勤めてきました。
幕末、八代喜代蔵の時、縁あって嫡男謙治が田原姓を名乗り、陶兵衛を称することとなりましたが、江戸初期以来、陶業一筋に子々孫々に守り伝え現在に至っておられます。
始 祖 松本ノ 介左衛門(赤川助左衛門)
十七世紀初頭、毛利輝元公の萩移封に際し、 李勺光と共に安芸国より移住し、
松本の御用焼物所に御雇細工人として召し抱えられる。
初 代 赤川 助左衛門
明暦三年、同族と共に萩松本より深川三之瀬に移住し、蔵崎五郎左衛門等と協力して三之瀬焼物所を開窯する。
二 代 赤川 三左衛門
寛文年間、支藩岩国吉川家より度々焼物御用を仰付かる。寛文八年、岩国にて陶技指導。
三 代 赤川 忠兵衛
四 代 赤川 佐々ヱ門
五 代 赤川 忠兵衛(喜右衛門)
宝暦十三年、一族共同の窯、東ノ新窯を増築する。
六 代 赤川 喜右衛門
安永三年、赤川姓の一代名字を許される。
天明三年、「由緒並名字御免之証拠物」を藩庁へ提出。
天明六年、御雇細工人として召し抱えられる。
七 代 赤川 忠兵衛
八 代 赤川 喜代蔵 晩年毛利家の御一門、吉敷毛利家の御家頼分となる。
九 代 田原 謙治(陶兵衛)
慶応元年、吉敷毛利家の御家頼田原家の名跡を嗣ぐが、
引続き深川・三之瀬にて家業に従事する。
十 代 田原 守雄(高麗陶兵衛)
現在地に新しく窯を築く。ドイツ等外国を含め各地の
博覧会に出品し萩焼振興に努める。
十一代 田原 忠太郎(高麗陶兵衛)
昭和十八年、技術保存窯に指定される。
昭和二十二年、芸術陶器窯に認定される。
十二代 田原 源次郎(陶兵衛)
昭和五十六年、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
日本工芸会理事
十三代 田原 謙次(陶兵衛)
平成四年十一月十五日襲名
日本工芸会正会員
●十三代陶歴
昭和26年 |
十二代の長男として生まれる。 |
昭和50年 |
武蔵野美術大学大学院修了
師 加藤達美先生
これより二年間唐津にて修業
師 中里重利先生 |
昭和52年 |
荒川豊蔵先生のもとに互窯会結成 |
昭和59年 |
田部美術館大賞茶の湯の造形展入選(以後入選を重ねる) |
平成2年 |
日本伝統工芸展入選(以後入選を重ねる) |
平成4年 |
十三代 陶兵衛を襲名 |
平成5年 |
東京日本橋高島屋にて襲名記念展(以後各地にて個展) |
平成11年 |
山口県芸術文化振興奨励賞受賞 |
平成12年 |
『やきもの探訪』(NHK-BS)出演
萩焼四百年記念パリ展出品
現在 日本工芸会正会員 |
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