桐山先生は今年の9月にフランスでの展示会も決まり、お忙しい毎日を送っておられます。
今年、還暦を迎えられ、愛犬に至福の愛情を注がれる心優しい素敵な先生です。
●色絵について
学生の頃、焼き物をやろうと決めてから、一番勉強したのが日本画だと思います。当時日本画を習う方は、ほとんどが岩絵の具を使った現在のような絵を描きたいという人達が多く、運筆をする人は少なかったように思います。しかし焼き物の絵を描くには運筆が必要で、牛尾桃里先生につき勉強させていただきました。この方は京都の西村五雲先生のお弟子で兄弟子に山口華楊先生がおられたと聞いております。これからと言いますか、これまでも自分自身の思いは、柔らかい絵を描きたいという気持ちが強く、大泉窯の素地に出来るだけ柔らかい絵を描いていこうと思っております。しかし、大半の方の色絵茶碗等に対しての思いとの間には、かなりのギャップがあることも事実です。今後の作品展開としては、大泉窯色の強いものを増やしてゆきたいと思っております。
●大泉に窯を築きたいと考えられるようになったのは
15年前より窯を築く場所を探し始め、琵琶湖の蓬莱、兵庫県西宮の山手、裏六甲など十数ヶ所を探したのですが、20年前初めて訪れてから、毎年訪れている八ヶ岳の自然、水の味が忘れられなかった事と、八ヶ岳にはアカマツ、カラマツが豊富で手に入りやすい事が分かり、燃料が入手しやすい八ヶ岳に窯を築くのが、最も合理的と考えました。
●大泉窯の作品について
電気窯やガス窯では出ない味を求め、穴窯と登り窯の併用窯という形にし、焼き始めました。窯名を裏千家十五代 鵬雲斎大宗匠樣につけていただいた折に、安易に写し物を作らないように、大泉窯独特のものが焼けるようにとのお言葉をいただき、試行錯誤を重ね、この窯から出た素地に絵付けをするようになりました。
又、前側穴窯の一部分で染付が焼けることが分かり、年間 1、2度染付も焼いています。この染付の藍の色はガス窯では出ない深い色がでます。そして後ろの部屋で灰被なども焼くようになりました。これも大泉独特の味だと思っております。そして、数年前楽焼用の炭窯も作り、時々赤茶碗なども焼いております。
●窯焚きについて
年によって少しずれますが、4月、6月、9月、11月が基本です。1月から3月頃に焚きたいのですが気温がマイナス10℃から15℃に下がる為、準備が非常に厳しく、設備が整ってからと考えています。窯焚きのパターンは2日(35〜36時間)と3日(72〜77時間)の二通りです。
●土について
土は基本的に6種類を造るものによってブレンドして使っています。其の内3種類は原土をもらい、自分達で処理をして使っています。
八ヶ岳には残念ながら良い土はありません。 少しブレンドするには問題はないのですが、耐火度が低いのです。将来、楽焼には使ってみたいと思ってはおります。
●薪について
アカマツ、カラマツは八ヶ岳で調達しています。地元の造園や林業の方々にお願いして、切る時期を指定して、5Mくらいの長さににしてもらい、自分達で玉割り、薪割り、たが詰などをしています。
年間1,200束以上(約12t)の薪を用意します。
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▲沢山の薪です。 |
▲「大泉窯」
これから、窯だしです。 |
▲愛犬ウエイヴィーと
大変仲の良いお二人です。 |
●ご子息、泰明(ヒロアキ)さんへ
親子で同じ仕事をするという事は、ある意味大変な事ですが、家業を継いでくれることに対しては感謝しています。喧嘩をしながら11年続けて来られたのですから、この先続いていくでしょう。問題は彼が独自の作風を確立してゆく事だと思っています。家業である色絵(金襴手等含め)の、しっかりした仕事を確立してゆくことと共に、独自の作風を生み出すことが、陶芸作家として大切な事だと思います。
●愛犬について
以前飼っていたダルメシアンが亡くなった翌日、私たち夫婦が悲しんでいるのを見かねて、息子が淡路島から生まれて3週間になる黒のラブラドールを連れて帰って、今年で6歳になります。車で出かける時には必ずついてきますね。都合で連れてゆくことが出来なかった時など帰ったら、かなり怒ります。息子には甘やかしすぎだとよく怒られますが・・・
●好きな言葉
「忍耐」ですね。
●これから
琴浦窯はもうすぐ開窯100年を迎えます。この時、大泉窯も10年目を迎えることになります。祖父が尼崎の地に登り窯を築き琴浦窯としたように、大泉窯にその役割が移ってゆくのかも知れません。世の中の流れが速く、日本人の気質が変わってきた今日、以前のようにながれを読めなくなってきました。しかし丁寧な手仕事から生まれる作品は決して消え去ることはないと思います。 |